レッジョカラブリアで貴重な経験をした僕は北イタリアのブレシアにある
ミラモンティ ラルトロという二つ星リストランテで働き始めた。
ブレシアはミラノとヴェローナの間ぐらいにある中都市である。
近郊にはスプマンテの生産で有名なフランチャコルタがあり。
名物料理はサラミーノにポレンタでバターをよく使うゾーンでもある。
店の名物は100種類以上のチーズでその数は圧巻であった。
特にバゴスという日本ではなかなかお目にかかれない硬質チーズの香りの奥深さと食感は忘れられない。
また、ワインの種類も1000種類ぐらいあり、ソムリエ冥利につきる職場であった。
しかし、問題は仕事が半端なくきついのである。
朝の8時から準備を始め、チーズの種類のおかげで夜中の一時二時までグラス磨きなどをしなくてはいけないのである。
あまりのキツさに逃げる従業員もいたほどである。
またこの辺は黒人なども多いので黄色人種に偏見を持っている人も少なからずいたのである。
こんな環境の中僕は二人目のタカさんに出会った。彼はドルチェを担当していたがいずれはスペインの三ツ星で働きたいと願っていた。
僕もここでの契約が切れたら、バローロで働くことを目標にしていた。
なぜ僕らがうまくこの環境で仕事が出来たかというと日本人らしいメンタリティとイタリア的なコミュニケーションをうまく取れたからだと思う。
二人とも誰よりも先に出勤して、さりげない気遣いを大事に仕事をしてきた。
また騒ぐ時はなるべくイタリア式に合わせた。
そして僕らは励ましあいながら、契約を全うして次のステップに行ったのである。
僕はバローロへ。彼はスペインへ。
今彼は関西で活躍している。
場所は離れてしまったが
同じ環境で頑張ってきた者にしか分からない信頼関係が今も続いているのだ。 |